Soul Leiter
@shibuya
“見ることは忘れられた冒険心だ”
“神秘的なことは馴染み深い場所で起こると思っている。なにも世界の裏側まで行く必要はない”
1950年代からニューヨークで第一線のファッション・カメラマンとして活躍しながら、1980年代に商業写真から退き、世間から姿を消したソール・ライター(1923-2013)。
彼はフォトグラファーであると同時にぺインターでもあります。
モノクロ(ゼラチン・シルバー・プリント)からカラー(発色現像方式印画)へ。彼の言葉です。
“その瞬間を私は一生忘れないでしょう。私の前に突然、画家の眼をもってとらえられた写真のイメージが広がったのです。灰色がかった雪と線の信号。赤い傘・店のウィンドゥに反射する太陽の光・赤と黄色の中で走るタクシー・オレンジのネクタイをした男性。(マーギット・アープ「Soul Leiter Retrospektive」kehrer Verlag 刊2012より)”
1980年代に商業写真から退き、世間から姿を消した彼が再び脚光をあびるきっかけとなった出版。
2006年ドイツのシュタイデル社による作品集。それまで商業のモノクロ写真を追及していた彼が色に目覚め、それに没頭した事でゲルハルト・シュタイデル氏は才能溢れる彼を発掘。
出版を持ちかけ、ここから彼の作品展覧会開催や出版が相次いだ。
“私は色が好きだった。たとえ多くの写真家が軽んじたり表面的だと思ったりしても”
彼が色を取り始めた時代“写真作品”と“モノクロ写真”はほぼ同義語だった。
技術的問題に加え、モノクロに比べると全てが高くつくことも要因の一つだった。
ソール・ライターは消費期限の切れたリバーサルフィルムを入手し、時々表現:スライドに現像して小さなライトボックスで色彩の世界を見ることを愛したのだそう。その独特な色彩は、消費期限のきれたフィルムの恩寵であったと言えるでしょう。
“絵を描いていなければ、いい写真家になれたかも”
ソール・ライターはドガ・ボナール・ヴェイヤール等の絵画とともに日本文化をこよなく愛した。エキゾチシウムとは、一線を画し、芸術家としての深い美意識から生まれたものだった。ライターは日本の書を「美術の最も崇高な形式」と呼んでいた。1960年代後半に購入した書道紙には、数年にわたって描き続け<和紙のポートフォリオ>とよばれる65点の作品となった。
約200点の展示が楽しめるソール・ライター展は6月25日までの展示期間です。
週末、湿度や温度まで伝わってきそうな“カラー写真のパイオニア”の作品をご覧になってみるのはいかがでしょうか?
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