the Divine Proportion
@shinjuku
たまに仕事と関係ない場でデザインコンセプトを練った話を度々聞かされて、意見を求められる事がある。
色々な切り口で制作途中だったり工程の相談を持ちかけてくれて「もし自分がそれを作るなら」なんて話すのはとても刺激になってる。新しい技術関連ニュースをぶつけてみて、人生の先輩が目から鱗!という反応をする事は色々と日々の遣り甲斐に感じていたりする。(何も返せないのは悔しい。負けず嫌いな性格、ってだけの話かもしれないけどね)
ただここ最近ビジネス本だったり、デザイナーやライター。販促本を読み漁っていて思う事。ここ数年の出版物では結構な頻度でブレストの時間、否定派が多いようだ。(厳密にはここでの案出しって工程は、「案出しをしている!」っていう満足感を得る時間潰しと書いてあったからちょっとそぐわないかも知れない。)
奇をてらう“斬新さ”は、紙媒体に限った話で見ても既に案が尽きかけているのかもしれない。そもそもロゴにしろ一枚もの、エディトリアルといった商材で良いバランス構成の基盤になってるのは黄金比か白銀比だよね。リニューアル直後よく聞いたデザインの話で言えば、SNSサービスツイッターの青い鳥さん。アップル社のリンゴさんなんかは黄金比で構成されてるよね。起源が古代ギリシャの時代にあるものが現代でも“美しい”と、人の目に認知させるならこの先2000年位までは黄金比・白銀比を中心にデザインすれば限りなく評価されるものがつくれるんじゃないかな、なんて思ったりする。(2000年たつ迄に太陽が爆発して地球が無くなってるなら話は変わるけどね、確かそんな話をいつかニュートンで読んだなぁ)
つまり何が言いたいかって言うと、今までにない真新しいデザインを作りたいと言う人もいる。けれどどんなに考えても目で見たり経験した事しか発案出来ないのが大半でそう易々“今までにない素晴らしいデザイン”なんて一人二人の頭からは捻り出ないだろうって事。
アイデアとは既存の要素の新しい組み合わせ以外の何ものでもない。(ジェームス・W・ヤング氏の言葉)
映画を作るときにも宣伝のときにも常にチャレンジはしない。冒険はしない、 確実なことだけやる。
全て正攻法でやる、奇はてらわない。(鈴木敏夫氏の言葉)
困った時に奇をてらう、困った時にチャレンジするんですって。
人生安全牌狙ってきましょ。
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